オーズ最終話感想。

 究極タトバのかっこ良さに「うおおお!」となったり、
ウヴァさんの情けなさに笑ってしまったり、
ウヴァさんの哀れな最期にしんみりしてみたり、
アンクの結末に涙ぐんでしまったりしつつ感想まとめてみた。
自分なりに考えてみた解釈とか語ってるのでちょっと長いしいろいろおかしい部分もあると思う。

最初に結論。

こう言うと誤解招きそうだけど、「仮面ライダーオーズ」という物語としては、あれが最高のハッピーエンドだったんじゃないかなあ。
そのままでは死ぬかもしれなかった泉信吾は生還し、比奈ちゃんも家族を取り戻した。
5103……もとい、後藤さんは理想だけが高かったのが人間として一回りも二回りも大きくなったし、伊達さんも生き残った。
そしてヤミー、グリードという人に「害為すモノ」は消滅し、
乾ききった「砂漠男」は欲望を思い出し、
満たされるはずがなかった「鳥」は満たされることを知って満足して逝った。

グリードたちの結末

“グリードの消滅”は、全体的に後味の悪い哀れな最期が多かったのは、たぶん「悪事を働いたものには報いがある」というのを描いたんじゃないかなあと思った。
たしかにウヴァさんは小者だし、ガメルメズールのやり取りは癒されるし、カザリは「待て」ができるお茶目さんではあった。
でも、子供向け番組として「悪いやつだけど憎めないから許されたよ」っていうのはダメだよね、ってことなんだろうな。
(OOOは小林脚本だけど、井上脚本ではよくそんな感じに書かれてる。というかそういうポリシーだと聞いた)
それが今まで“自分の為に誰かを苦しめたグリード”の消滅なんだと思う。

火野映司という男

2chとか感想ブログに書き込まれる、映司の人間味の無さや不気味さは脚本の小林さんの狙い通りなんだろうな。
よく五代や剣崎と比較されるけど、この3人はまず第一に「他人」がくるのが共通点だよね。
ただ五代は自分の苦しみを隠すことを自分の痩せ我慢だと気がついていたし、剣崎の場合は最初から「自分は欲張りだ」と発言していた。
映司はずっと自分の一番の欲望を諦めた“つもり”でいた。それが目を逸らすことだと気付かないフリで。
それが映司の空っぽさ、傲慢さに見えるんじゃないかな。
そして、その傲慢さはTVで彼を見ている自分の中にもあるんじゃないだろうか。
困っている誰かを助けたいけど、自分ごときの力じゃ無理だから諦める。
伸ばせるかもしれない「誰かを助ける腕」を引っ込める。
それは「人間(ひと)として」「自分(おれ)として」どうなんだろうか。
タトバコンボのED曲にあるあれだ。
そういう「オトナ」の嫌な部分を突っついてくるのが本編中での火野映司の生き様のような気がする。
「仮面ライダーオーズ」とは、絶望で乾いた「砂漠男」映司が「人間」に立ち戻るための物語だったんじゃないだろうか。

アンクの結末の二重の意味

個人的にアンクの結末は、“グリードとして悪事の報いの消滅”と“満たされないはずのグリードに訪れた救いとしての死”なんだと思った。
グリードたちの結末”の項目の通り、アンクも初期と裏切った時の行動は“自分の欲望のため”。
アンクが最初に他のグリードを蘇らせたことが原因で犠牲になった人や、ウヴァを蘇らせたときのリア充爆発しろヤミーにやられて死んでしまった人もいたんじゃないんだろうか。
細かく描写されてないけども。
それにそのことで映司や比奈ちゃんたちの信頼も裏切った。

でも、アンクは満たされることを知った。
グリードとしては欠けたままだったかもしれないけれど、映司や比奈ちゃん達と一緒にいることで、心が満たされることに気づいた。
自分が「物」であることで絶望したけど、コアにヒビが入った後の比奈ちゃんとのやり取りで彼女が言った“アンクのコアが割れる=死という認識”で、自分が生き物として認識されていた、命であったことに満足した。
満たされた「命」の果ての「死」だった。
そうして自分に伸ばされていた腕に気がついたことが、映司に最期の力を託し、「伸ばされている腕に気づくこと」を教えることに繋がったんじゃないかな。
自分を救うためにいつだって伸ばされていたその腕を救う、それこそがアンクにとっての真の救いだったのかもしれない。

鴻上会長について

あの人は見たまま、「欲望に素直なだけのオッサン」だと思います。
怪しく見えるのは……素直過ぎるからじゃないかなあ。
強いて言うならば、あの人は先祖の残した「欲望のメダル」とそのメダルの力を操る「オーズ」、「オーズの欲望の果て」が見たいとかそんな感じのあれで終始動いてたんじゃないんかな。
そして彼の言うとおり、「欲望が世界を救」った。
その「救いたい」欲望は、映司だけじゃなく、後藤さんや伊達さん、比奈ちゃんや信吾さん、そしてアンクのそれも含まれていたんだと思う。
対象は違っても、その手をつかむために腕を伸ばす、その「欲望」が「全てに終末を」と言う真木に打ち勝ったんじゃないかな、と。

Dr.マッキー

せっかく長文書いたのにうっかりバックアップしてなくて消えたので簡潔に。
幸福の絶頂にいた姉に終末を与えた瞬間から彼は既に“化け物”になっていたんだと思います。
そして、姉の残した人形は彼の「罪悪感」と「人間であることへの執着」の象徴だったんじゃないだろうか。
ちよこさんに会った時のあの反応は、たぶん“姉に瓜二つの存在”へ許しを請おうとしている自分の中の「人間」への嫌悪感じゃないかな。
最期にクスクシエに自分の姿にした人形を置いていったのは、“オーズとの最終決戦”と“世界の終末”に臨む「紫のグリード・Dr.真木」にとって、
「人間・真木清人」との決別であり禊ぎの意味もあったのかな。